最高裁判所第一小法廷 平成2年(オ)1650号 判決 1994年10月27日
上告人
高橋光行
外一三二七名
右訴訟代理人弁護士
伊藤淳吉
野島達雄
榊原匠司
後藤昭樹
山本秀師
大道寺徹也
小栗厚紀
服部優
山田幸彦
山田敏
稲垣清
今井重男
立岡亘
古田友三
在間正史
被上告人
国
右代表者法務大臣
前田勲男
右指定代理人
井篠慎也
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
理由
一 上告代理人伊藤淳吉、同野島達雄、同榊原匠司、同後藤昭樹、同山本秀師、同大道寺徹也、同小栗厚紀、同服部優、同山田幸彦、同山田敏、同稲垣清、同今井重男、同立岡亘、同古田友三、同在間正史の上告理由第一、第三について
1 所論は、要するに、(一) 昭和五一年九月一二日午前一〇時二八分ころ、岐阜県安八郡安八町大森地先において長良川の右岸堤防(以下「本件堤防」という。)が決壊し(以下、右決壊を「本件破堤」という。)、流出した河川水によって安八町及び墨俣町の一部が浸水する災害(以下「本件災害」という。)が発生したが、本件破堤は、パイピング破堤(パイピングを原因とする破堤)であるのに、浸潤破堤(浸潤線が高い位置にまで上昇して堤体が不安定となって生じた破堤)であるとした原審の認定には、経験則違背、理由不備、審理不尽、弁論主義違背等の違法がある、(二) 上告人らが口頭弁論の再開申請をしたにもかかわらず、口頭弁論を再開しなかった原審の措置には、訴訟手続の法令違背及び判例(最高裁昭和五五年(オ)第二六六号同五六年九月二四日第一小法廷判決・民集三五巻六号一〇八八頁)違反等の違法がある、というのである。
2 しかしながら、本件破堤は、浸潤破堤であって、上告人ら主張のパイピング破堤であると認めるには足りないとした原審の認定は、原判決挙示の証拠関係に照らして首肯することができる。また、記録によって認められる本件訴訟の経緯に照らすと、原審が所論口頭弁論の再開をしなかったことに違法はなく、所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨はいずれも採用することができない。
二 その余の上告理由について
1 所論は、要するに、(一) 原審は、本件災害につき、河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を考慮し、河川管理における財政的、技術的、社会的諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていたと認められるかどうかを基準として判断すべきであるとし、本件において、堤体ないし基礎地盤に欠陥が存在し、かつ、右欠陥に起因する災害発生の予測可能性及び右災害発生の回避可能性の存在することが右の瑕疵を肯定するための要件であるとした上で、本件災害について被上告人に河川管理の瑕疵があったとは認められないと判断しているが、右のような河川管理の瑕疵の判断基準及び要件を採用した点並びに被上告人の河川管理の瑕疵を否定した点で、原判決には、国家賠償法二条一項の解釈を誤った違法がある、(二) 本件堤防は計画高水位程度の洪水を防御し得る高さと幅を有する改修のほぼ完了した堤防であり、かつ、本件破堤は計画高水位を越えない水位の洪水によって発生したものであるにもかかわらず、基礎地盤に浸透作用との関係で堤体の安全性に影響を及ぼす難透水性層の不連続という特異な地質条件が存在したことをもって、河川管理の瑕疵を推定することのできない特別の事情に当たるとした原審の判断には、理由不備、理由齟齬等の違法がある、(三) 本件災害発生当時においては、本件堤防の基礎地盤に存在した可能性のある難透水性層の不連続により浸潤線が上昇して破堤に至る危険性についての予測可能性が存在しなかったとした原審の認定及び判断には、事実誤認、国家賠償法二条一項の解釈の誤り等の違法がある、というのである。
2 しかしながら、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、このような瑕疵の存在については、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。そして、河川の管理については、道路その他の営造物の管理とは異なる特質及びそれに基づく財政的、技術的及び社会的諸制約が存するのであって、河川管理の瑕疵の存否の判断に当たっては、右の点を考慮すべきものといわなければならない。そうすると、河川の管理についての瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生の頻度、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形その他の自然的条件、土地の利用状況その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等諸般の事情を総合的に考慮し、右諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきであると解するのが相当である(最高裁昭和五三年(オ)第四九二号、第四九三号、第四九四号同五九年一月二六日第一小法廷判決・民集三八巻二号五三頁参照)。
3 そこで、以上の見地に立って本件における河川管理の瑕疵の有無について検討する。
(一) 原審の適法に確定した事実関係によれば、(1) 本件堤防は、大正一〇年に策定された木曽川上流改修計画に基づき、同一五年から昭和五年にかけて、旧堤の堤防法線を整正する大改修工事によって築造されたものであるが、右工事の計画及び施行等については、格別不合理な点はないこと、(2)長良川については、明治一九年以降数次にわたる改修計画が立てられ、昭和四〇年には河川法に基づく木曽川水系工事実施基本計画が策定されたが、右計画に格別不合理な点はなく、その後本件堤防は右計画に準拠して改修、整備が実施されていること、(3) 本件災害発生当時における本件堤防の天端の高さ及び幅、法勾配、小段等の横断形状は、本件災害発生後の同五一年一〇月に施行された河川管理施設等構造令の基準に十分適合していること、(4)過去において本件堤防の堤体若しくは裏法尻に法崩れなどの変状が発見されたことはなく、同三四年九月、同三五年八月及び同三六年六月に三年連続して発生した三大洪水はいずれも従来の計画高水流量と計画高水位を大幅に上回るものであったが、本件堤防は、これらを安全に流下させており、本件災害発生当時においても、同五一年九月八日の夜半から同月一一日午後二時ころまでの間の断続的な計画高水位に迫る三波にわたる洪水にも耐え、その間は本件堤防に法崩れや漏水などの異常現象は何ら発生しなかったこと、などが明らかである。これによれば、少なくとも本件堤防の基礎地盤を除く堤体部分には、破堤原因となるような欠陥は存在せず、その築堤、改修及び整備、管理等の面において、格別不合理なものがあったとは認められない。
(二) 次に、原審は、堤体上に多量の降雨があったこと及び高い水位が長時間継続したことを、本件浸潤破堤の要因として挙げている。そして、原審の適法に確定したところによれば、本件破堤前後の降雨は年間降雨量の二分の一ないし三分の一に相当する多量のものであり、高い水位の継続時間も前記の三大洪水をはるかにしのぐ規模のものであった、というのである。しかし、原審も、降雨量や高い水位の継続時間が右のような程度に達していたとしても、そのことだけからは浸潤線が上昇して破堤に至るものとは認められないと判断しており、右認定判断に不合理な点はない。そうとすれば、被上告人において、事前に右のような程度の降雨及び高い水位の継続時間を想定して何らかの措置を講じていなかったとしても、これをもって河川管理の瑕疵があったということはできない。
(三) また、原審は、浸潤作用との関係で堤体の安全性に影響を及ぼす難透水性層の不連続という特異な地質条件が本件堤防の基礎地盤に存在した可能性があることを本件浸潤破堤の要因として否定し得ない、としている。そして、原判決挙示の証拠の中には、難透水性層の不連続という地質条件の下では、洪水の高い水位が継続した間、難透水性層の不連続部分から多量の河川水が堤体に浸透し、堤体内の浸潤線を異常な速度で上昇させ、ついには破堤に至る可能性がある旨の実験的鑑定結果を示した書証が存在し、その物理的機序自体に特に不合理な点があるとはいえないが、本件破堤箇所の基礎地盤に難透水性層の不連続があったという事実自体は、立証されているわけではない。原審も、本件浸潤破堤の要因を本件堤防の基礎地盤に存在した難透水性層の不連続にあると断定しているわけではないと解される。
仮に、本件破堤の生じた本件堤防の基礎地盤に難透水性層の不連続があり、そのことが破堤の要因となったものであるとしても、本件破堤が河川管理の瑕疵に基づくものであるということはできない。すなわち、堤防の改修、整備は、予想される洪水等による災害に対処するため、主として堤体についてこれを行い、その安全を確保するのが通常であって、その基礎地盤については、過去における災害時の異常現象等によって欠陥のあることが明らかとなっているなど特段の事情のある場合を除き、そのすべてについて、あらかじめ安全性の有無を調査し、所要の対策を採るなどの措置を講じなければならないものではない。けだし、被上告人の管理する河川は多数に上り、その堤防の基礎地盤の面積は広大なものであるから、そのようなことは、財政面からも技術面からも実際上不可能を強いるものであることは、みやすいところであるからである。本件堤防の基礎地盤については右のような特段の事情が認められないのであるから、相応の措置を講じていなかったとしても、これをもって河川管理の瑕疵に当たるものということはできない。
(四) 以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件堤防は、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有し、工事実施基本計画に定める規模の洪水における流水の通常の作用から予測される災害の発生を十分に防止する効用を発揮し得る状態にあったものであり、河川管理の特質に由来する前記の諸制約のもとでの同種・同規模の河川の管理の一般水準及び社会通念に照らして是認し得る安全性を備えていたものということができる。そうすると、本件災害については、被上告人に、河川管理の瑕疵があったとすることはできない。
4 以上の次第であるから、原審が、本件における河川管理の瑕疵の有無を判断するについて、前記2の判断基準に従い、本件災害につき河川管理の瑕疵があったとは認められないとして被上告人の責任を否定した判断は、その結論において是認することができる。論旨はいずれも採用することができない。
三 結論
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官大白勝 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官三好達 裁判官高橋久子)
上告代理人伊藤淳吉、同野島達雄、同榊原匠司、同後藤昭樹、同山本秀師、同大道寺徹也、同小栗厚紀、同服部優、同山田幸彦、同山田敏、同稲垣清、同今井重男、同立岡亘、同古田友三、同在間正史の上告理由
第一 <省略>
第二 瑕疵の推定についての理由不備・理由齟齬
一 瑕疵の推定に関する原判決の判断は、理由不備、または理由齟齬の違法がある。その理由は以下に述べるとおりである。
二 原判決の判断
原判決は上告人らの主張する「瑕疵の推定」に体する判断の前提として、
① 本件堤防が計画高水位程度の洪水を防御し得る高さと幅を有するものであったこと、
② 本件破堤は、本件堤防に定められた計画高水位及び計画高水流量を越えない水位の洪水によって発生したこと、
③ 本件洪水の継続時間の程度は、河川水の浸透作用により堤防の安全性を損なう程のものでないこと、
の各事実を認定しながら、前記各認定に続いて次のとおり判示し、上告人らの瑕疵の推定の主張をしりぞけている。
「たしかに、我が国においては越流によらずして破堤したようなケースは極めて少なく、計画高水位程度の水位を防御できる程度に整備がされた堤防は浸透作用についても一応安全であると考えられてきたこと、現に特別の弱点がない以上はそのような能力を有すると考えられることからすれば、計画高水位程度の水位の洪水が越流することなくして破堤した場合には、他に特別の弱点のないかぎり、河川管理に瑕疵があったと推定するのが相当であって、前記認定によれば本件の場合は一応これに該当し、河川管理の瑕疵を推定するのが相当であるかのようにみえる。
しかしながら、瑕疵の推定というものは、いわゆる事実上の推定であって、前提となるある事実があれば、経験的に他のある事実の存在の蓋然性が高いということを意味するにすぎないものであるから、かかる経験則を適用するのを相当ではないと思料されるような事実が存在する場合、すなわち、特別の事情がある場合には、もはや瑕疵の推定ができなくなるのである。
そして、本件においては、後記認定のとおり、本件堤体の基礎地盤には難透水性層の不連続があり、本件洪水の高水位が継続した間、右難透水性層の不連続部分から多量の河川水が浸透し、堤体の浸潤線を上昇させ、堤体の安全性を損なったことが認められるところ、このように浸透作用との関係で堤体の安全性に影響を及ぼすような特異な地質条件(弱点)が存在する場合には、その弱点の内容それ自体から管理の瑕疵が存在することが明らかな場合は別論として、そうでない場合には、瑕疵の有無を判断するには、当該弱点が堤体及び基礎地盤が有する宿命的なものか否か、破堤以前に弱点の存在を予測させるような現象はなかったか、予測できたとしてこれによる悪影響を回避するための手段が技術的にかつ時間的に可能であったか否か、更には財政的、社会的制約のもとにおいて可能であったか否か等の検討をなす必要があり、本件にみられる難透水性層の不連続はこれをもってそれ自体から管理の瑕疵が存在することが明らかな場合であるとは到底いえず、このことからすれば、本件においては、河川管理の瑕疵の存在を推定することのできない特別の事情があるというべきである。
結局、本件においては、瑕疵の推定はできない。」(B―三九裏〜四〇表)
三 原判決の判断の誤り
原判決の前記認定は以下に述べるとおり誤りである。
1(一) 瑕疵の推定とは、「過失の一応の推定」の理論と同様、すでに被害者の側で立証した事実と争いのない事実とにより、事物の通常の成り行きに従えば、瑕疵の存在を推定させるに足りる蓋然性があると認められる場合には、被害者において、更に瑕疵の具体的内容について立証する必要はなく、相手方である国又は公共団体が、右の推定を覆えすべき特別の事情を立証しなければならないとするものである。
(二) これを本件についてみれば、構造令に定める要件に十分適合し、ほぼ改修の完了した堤防が、計画高水位以下の洪水によって溢水なくして破堤したという事実から、端的に本件堤防に瑕疵があったことを事実上推定しようとするものであり、右推定を妨げる特別の事情等は間接反証として、河川管理者である被上告人において、主張立証(間接反証)しない限り、右瑕疵の存在を否定することはできないとするのである。
そして、右の法理が広く認められるようになったのは、経験則に照らし前提となるべき事実が認められるような場合においては、何らかの瑕疵が存在する蓋然性が極めて高いからであり、更に営造物の設置・管理の瑕疵という専門性・技術性の高い事実を、被害者が主張立証することの困難性を、公平の見地から緩和しようとするところにあったのである。
(三) しかるに、原判決は、特別の事情が存在する場合は、もはや瑕疵の推定はできなくなると述べ、瑕疵の推定の法理は特別の事情が存在しない場合のみ適用されるべきであるという。
即ち、原判決は、
「本件堤体の基礎地盤に難透水性層の不連続がある」とか、
「本件洪水の高水位が継続した間、難透水性層の不連続部分から多量の河川水が浸透し、堤体の浸潤線を上昇させ、堤体の安全性を損なった」
とかの事実を認定したうえ、
「このように浸透作用との関係で、堤体の安全性に影響を及ぼすような特異な地質条件(弱点)が存在する場合には、(中略)河川管理の瑕疵の存在を推定することはできない」
とするのである。
しかし、原判決の右判断は明らかに誤りである。
前記(一)、(二)でも述べたとおり瑕疵の推定とは、ある事実(本件では計画高水位以下の洪水により、越流することなく破堤したという事実)から端的に「河川の設置・管理の瑕疵」の存在を推定しようとするものであり、特異な地質条件(弱点)というような具体的事実の有無の判断に立入らず瑕疵の存在を認定するところに、右理論の存在意義があるのである。
従って、原判決のいうような特別な事情が仮に存在したとしても、それらの事実は瑕疵の推定により、上告人らの主張する瑕疵の存在を認定したうえでの、被上告人の反証と位置づけるべきであり、瑕疵を推定することの障害とはなり得ないものである。
原判決の判断は、瑕疵の推定の法理に対する著しい理解不足の故に、被上告人の反証と位置づけるべき具体的事実を、瑕疵の推定の法理を適用するための要件とするものであって、明らかに誤りである。
2(一) ところで、瑕疵推定の法理は古くから過失の「一応の推定」の理論と共に、被害者の立証の困難を緩和するという観点から議論されてきたものであるが、国家活動が各方面にわたり、かつ、その技術化・専門化の著しい現在、右法理の積極的活用の必要性は益々増大しているものといわなければならない。
(二) 現に、瑕疵推定の法理は、最高裁判所が主宰した、昭和五八年一二月開催の水害訴訟に関する民事事件担当裁判官協議会においても肯定されているのである。
すなわち、同協議会では河川管理の瑕疵を論じる前提として「築堤義務型」と「内在欠陥型」に分類し、前者は無堤防状態で溢水した場合ないしは現存する堤防の設計外力を越える洪水流量によって破堤した場合における、堤防の設置ないしより高度の堤防の設置に関する瑕疵を問題とする場面であり、後者は堤防の設計外力の範囲内の洪水流量によって破堤した場合における、堤防の内在的欠陥に関する瑕疵を問題とする場面であるとする(本件は原判決も認めるとおり、殆ど改修が完了した堤防であるから、後者の事例であることはいうまでもない)。
そして、同協議会の協議結果ないし最高裁事務総局見解でも、「内在欠陥型」の河川管理の瑕疵を論じる場合に、設計外力以下の洪水流量で破堤したときは、その事実から瑕疵を事実上推定することを肯定し、その理由として、河川管理者が完成したという堤防は、河川管理の水準を示すものであるとともに、住民にとってもその堤防が防御対象とした洪水流量以下の洪水に対して安全であると考えるのは社会通念であることが挙げられているのである。
(三) 更に、本件訴訟と原因を同じくする墨俣第一審判決(岐阜地方裁判所昭和五五年五月二九日判決)においても、
「一般に構造物がその設計外力以下の外力に耐えられなかった場合、当該構造物に欠陥が内在することによるものと事実上推定し得ることは明らかであるところ、工事実施基本計画が計画高水位以下の洪水(すなわち計画高水流量以下の流量の洪水)の通常の作用(すなわち短期集中型の洪水の通常の作用)を設計外力とし、右外力に耐えることのできる河川管理施設を実現するため、具体的な河川工事の実施を計画するものである以上、工事実施基本計画のとおり改修の完了した堤防(以下完成堤防という。)が計画高水位以下の水位の洪水の通常の作用により破堤した場合には、反証のない限り、右事実から河川の管理に瑕疵があったことを事実上推定し得るものというべきである。」
とし、瑕疵の推定の法理を肯定しているのである(もっとも、右判決は、本件堤防を未完成とし、かつ、本件洪水の堤体に対する作用を流水の通常の作用を越えるものであると認定するなど、本件の原判決でさえ認定し得なかった事実を認定したうえ、結論として右法理の適用を否定しているのは甚だしく不当である)。
3(一) 本件破堤は、瑕疵推定の法理が最も妥当する事例であった。
この点については、既に上告人らの控訴審第五準備書面(三二三頁以下)に述べたとおりであるが、敢えてその趣旨を再論すれば以下のとおりである。すなわち、
(1) 本件堤防は原判決も認めるとおり、天端の高さと幅、法勾配、小段等その横断形は災害後の昭和五一年一〇月に施行された構造令に照らしても、これに十分適合するものであって、ほぼ改修の完了した堤防であり(被上告人側証人井上章平は「ほとんど完成堤防といってよい」と証言している)、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有するものであった。
従って、本件堤防はそれまでに実施された改修によって設計外力以下の洪水に対しては、防御機能を有し安全でなければならない筈のものであった。
(2) 一方、本件破堤当時の洪水の継続時間は、到底破堤に至る程度のものではなかったことは、原判決の認めるところであり、洪水時におけるピーク流量は毎秒六、〇〇〇立方メートル程度と河道計画高水流量七、五〇〇立方メートルを約一、五〇〇立方メートルも下廻る程度のものであった。
(3) しかるに、本件堤防は、計画高水流量、計画高水位以下の洪水、即ち、設計外力以下の洪水によって溢水なくして破堤したものである。
(4) 更に、「溢水なければ破堤せず」とは古くから言い伝えられてきた経験的事実であり、統計上からも裏付けられた事実であるところ(山村・久楽論文(二)、一〇頁以下によれば一級河川の破堤二八三箇所の約八二%にあたる二三一箇所が越流を原因とするものである)、本件破堤は、右のような経験的事実にも反するものであった。
(二) 原判決が認定し、あるいは被上告人が争わない、以上の各事実と、降雨と洪水により同一の外力による影響を受けている堤防のうち、本件箇所のみが当時通常有すべき安全性を欠く状態にあったこと、即ち、何らかの瑕疵を内在させていたものと推定することは極めて合理的であり、かつ、社会通念にも合致するものというべきであろう。
4 よって、原判決が本件について瑕疵の推定を否定したことは右法理に対する理解不足によるものであって失当といわなければならない。
第三 <省略>
第四 河川の設置・管理の瑕疵判断の誤り
原判決の営造物の設置または管理の瑕疵の判断は、国賠法二条一項の解釈を誤ったものであり、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違背がある。
その理由は、以下に述べるとおりである。
一 原判決の判断
1 原判決は、まず国賠法二条一項にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、
「営造物が有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態」をいう(最高裁昭和五六年一二月一六日大法廷判決民集三五巻一〇号一三六九頁、大阪空港判決)としたうえ(B―二二表)、河川管理の瑕疵について大東水害訴訟の上告審判決を引用し、
「当該河川管理の瑕疵の有無は、過去に発生した水害の規模、発生原因、被害の性質、降雨状況、流域の地形、その他の自然的条件、土地の利用状況、その他の社会的条件、改修を要する緊急性の有無及びその程度等、諸般の事情を考慮し、前記諸制約の下での同種、同規模の河川管理の一般的水準及び社会通念に照らして、是認し得る安全性を備えていると認められるかどうかを基準として判断すべきである。」(最高裁昭和五九年一月二六日大東判決・B―二四表裏)
と判示している。
2 次いで、原判決は、本件堤防の設置、管理の瑕疵の有無について次のような判断基準を設定する。
「しかしながら、当該洪水の継続時間が長かったとしても、これらによる浸透作用が前記のような程度(上告代理人注、「堤体や地盤に特別な弱点がないのに、堤防が破堤を免れなかった程度の浸透作用」)には至らないものであるにもかかわらず、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防が破堤した場合には、その堤体やその地盤に特別な弱点が存在するものと考えるのが相当であって、
そのような場合には、
① その弱点が堤体及び基礎地盤が有する宿命的なものか否か、
② 破堤以前に弱点の存在を予測させるような現象はなかったか、
③ 予測できたとしてこれによる悪影響を回避するための手段が技術的にかつ時間的に可能であったか否か、
④ 更には財政的、社会的制約のもとにおいて予測または回避が可能であったか否か、
等の検討をなし、管理の瑕疵の有無について判断することになる」(B―三五裏〜三六表)
3 原判決は自らが設定した右判断基準をもとに、
① 堤体又は基礎地盤の土質構造等に問題(欠陥)がありうることは、堤防の持ついわば宿命であり、その拡がりや、複雑性のため事前にこれらの存在による洪水の影響をすべて予測することは困難であって、堤防はこれらの点をも考慮して安全なように造られてはいない(B―一一〇裏)。
② 丸池が押堀であったという事実のみから、難透水性層の不連続や、その結果としての浸潤線の上昇までを予測することは不可能であり、また丸池の埋立は、浸潤線の上昇を回避するために有効な対処方法とはいいえない(B―一一一表〜一一二表)。
③ 丸池は周辺の地盤と比べてパイピングの起きやすい場所とはいえず、パイピングを推認させる変状もないから、パイピングの可能性を予測し、対策を講ずべきものであったとはいえない(B―一一二裏〜一一四表)。
等と認定したうえ、本件破堤の要因であると認められる難透水性層の不連続、パイピングの存在は宿命的なものであり、かつ、これを事前に予測し、防止するに足りる改修工事を行わなかったことをもって、河川管理の瑕疵に該当するとはいえない、と判断するに至っている。
二 原判決の判断の誤り
1 大東水害訴訟判決の射程
(一) 原判決が瑕疵の判断基準を論ずるにあたり、全面的に大東判決の論旨に依拠していたものであることは前項に述べたとおりである。しかし、上告人らが既に昭和六三年一〇月二八日付原審第五準備書面第五項(同書面四二四頁以下)に詳述したとおり、大東判決の事案は、河川改修途上における溢水を原因とする水害に関するものである。
即ち、大東判決は未改修であることが原因となった水害であったが故に、その瑕疵の判断にあたっても河川改修の必要性、時期、内容等が問題となり、河川の設置・管理における諸制約が瑕疵の有無を判断する前提とならざるを得なかったにすぎない。
換言すれば、大東判決における瑕疵の判断は、大東市という中都市の新興住宅地に起きた、溢水による改修途上の都市水害という水害形態に関するものであり、水害の瑕疵の類型としては、いわゆる「築堤義務型」といわれる事例であった。
従って、右のような河川における設置・管理の瑕疵の有無は、河川管理の特質や諸制約を具体的に考慮したうえで、いかなる堤防を設置するべきであったか、また現実に設置された堤防が河川管理の目的に適合したものといえるか否かが判断の対象となったのである。
(二) 一方、本件水害は、建設省が直轄する日本の代表的な大河川である長良川において、しかも、原判決が「本件堤防が計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防であったことは当事者双方に異論はない」(B―三六表)とし、「本件堤防は堤防高が約12.8メートルで計画高水位10.69メートルより約二メートル高く………、本件堤防の横断形は本件災害後の一〇月に施行された構造令に照らしても十分にこれに適合するものであった」(B―三六裏〜三七表)と認定していることからも窺われるとおり、河川管理者である被上告人が、殆ど改修が完了したことを自認している堤防について、設計外力たる計画高水流量、計画高水位以下の洪水で、溢水なくして破堤した事案であって、大東判決の事案とは水害形態を異にし、水害の瑕疵類型としては、いわゆる「内在欠陥型」といわれる事例である。
従って、河川の設置・管理の瑕疵の判断にあたっては、大東判決において説示された河川管理の特質や、諸制約を議論する余地は殆どなく、また、大東判決における河川管理の瑕疵の判断基準をそのまま適用することは、同判決の射程範囲を逸脱することとなり、右判決が本件の先例となり得ないことは自明である。
(三) しかるに、原判決は大東判決の論理について慎重な検討を怠り、かつ、それが何故に類型を異にする本件のような場合にまで適用し得るのかについて、何らの説明を加えることもないまま、大東判決の論理を本件にも適用しているのである。
よって、原判決の瑕疵の有無に対する判断は、まずこの点において失当である。
2 原判決の瑕疵判断の基準
(一) 原判決の、本件河川における管理の瑕疵判断の基準は、前項に述べたとおりであるが、右判断基準は以下に述べるとおり、従前の通説・判例の立場とは相入れない独自のものであって、是認し難いものである。
(二) 高知落石判決(最高裁昭和四五年八月二〇日民集二四巻九号一二六八頁)が、国賠法二条一項の「営造物の設置管理の瑕疵」の意義について、「営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいい、これに基づく国及び公共団体の賠償責任については、その過失の存在を必要としない」と判断して以来、判例も通説と同じくいわゆる客観説(営造物の通常備えるべき性質、又は設備を備えず本来有すべき安全性を客観的に欠いている状態を瑕疵とする説)を採っていると解されている。
原判決が、その前提としている前記大阪空港判決、及び大東判決もその理由付は一様ではないが、瑕疵の有無の判断基準を客観的事実に求めていると認められている点では同一であり、これらの判決が高知落石事件判決の延長線上にあり、客観説に立ったものであることは疑問の余地のないところであろう。
(三) しかるに、本件において原判決が河川管理の瑕疵の判断の基準としたのは、前記各判決とは全く異なったものである。
即ち、原判決はまず、前記(一2)のとおり、
「当該洪水の継続時間が長かったとしても、これらによる浸透作用が破堤に至らない程度であるのに、計画高水位程度の高い水位の洪水を防御し得る高さと幅を有する堤防が破堤した場合は、その堤体や地盤に特別な弱点が存在すると考えるのが相当であって」と述べる。
この記述は、従前の通説・判例の採る客観説の立場を踏襲したものとみるべきであり、本件破堤は、まさに右のような状態において発生したものであるから、原裁判所が右事実を認定せざるを得なかった以上、少なくとも本件堤防の設置又は管理に瑕疵があったことを認定し、被上告人国の責任を認めるべきであった筈である。
ところが、原判決は一転して右のような場合においても、なお、瑕疵があるといいうるためには更に前記(一2)のとおり宿命性その他、四つの要件を必要とすると判示するのである。
しかし、原判決のいう前記四要件は、従前の通説・判例が採用し、かつ、原判決が踏襲していると認められる客観説の立場からはとうてい理解し難いものである。
(四) まず、原判決は、堤体や基礎地盤が有する弱点が宿命的なものであるか否かを瑕疵の判断基準の一つとしたうえ、宿命的なものである場合は、瑕疵がないという洵に不可解な基準を設定している。
しかし、宿命的(広辞苑によれば、宿命とは「前世から定まっている運命」とある)という抽象的な言葉が、具体的な瑕疵判断基準としていかなる意味内容をもつのか極めてあいまいであり、客観的基準としては、とうてい妥当なものとは考えられない。
また、原判決のいう堤体や基礎地盤の弱点が宿命的なものであろうと否とに拘らず、それが予測可能であり、回避可能である限り、被上告人国が責任を負うべきは当然でろう。
しかるに、原判決は、「宿命」などという意味不明の判断基準を設定したうえ、本件堤防の堤体及び基礎地盤の土質構造等に問題(欠陥)がありうることは、堤防の持ついわば宿命であり、これらの存在による洪水の影響を予測することは困難である(B―一一〇裏)として、瑕疵の存在を否定するに至っているのである。
繰返すが、国賠法二条一項にいう瑕疵とは、営造物に存在する欠陥であって、優れて客観的な事実であり、その欠陥の有無が宿命などというあいまいな概念を基準として律せられるべきものではないのである。
(五) 次に、原判決は、瑕疵が有るといいうるためには欠陥の存在、及びその悪影響につき予測可能性及び回避可能性が必要であるとする。
しかし瑕疵とは当該営造物に客観的に存在する欠陥をいうのであって、予測可能性、回避可能性などという主観的な概念とは異なるものであり、このような要件は本来国賠法一条の過失責任の存否に関する判断基準として論ぜられるべきものであり、仮に国賠法二条一項において論ぜられることがあり得るとしても、それは当該営造物につき管理責任を負うべき物の免責の主張(抗弁)の内容とされるべきものである。
このことは、本件第一審裁判所が、予測不可能性を被上告人の不可抗力による免責の主張と把えていることからも明らかであろう。
しかるに、原判決は、本来管理責任を有する国の抗弁とすべき事実を瑕疵の要件とすることによって、敢えて従前の判例の立場に反してまで、上告人らに過大な立証責任を負担させようとしているのである。
(六) 更に、原判決は欠陥の存在を予測し、または回避することが財政的、社会的制約のもとにおいて可能であったことを瑕疵の要件とする。
しかし、右要件もまた前記(五)と同様、不可抗力、乃至は期待可能性の主張(抗弁)と択えるべきものである。財政的、社会的制約などという抽象的な概念を瑕疵の有無の基準とすることは、客観的であるべき瑕疵の有無の判断基準をより一層あいまいなものとするからである。また、財政的、社会的制約は大東水害のような改修途上における事案については適合する場面があり得るであろうが、本件堤防のように殆ど改修工事が完了している事案に関しての基準とは、およそなり難いものというべきである。
(七) 以上のとおり、原判決のいう四要件は、国賠法二条一項の営造物の設置・管理の瑕疵が営造物に存在する欠陥であり、本来客観的な事実としてその存否が判断されるべきことを没却したものであり、殊更に主観的要件や、あいまいな概念を瑕疵の要件とすることによって、上告人らの主張を排斥するための手段に利用される結果となっている。
しかし、通説及び高知落石判決以来の判例に明らかなとおり、営造物の瑕疵とは、当該営造物に存在する欠陥である。
従って、客観的に見て欠陥が存在する限り、瑕疵を認めるべきであり、その余の主観的要件等は管理主体である被上告人国の免責の抗弁としてとらえるべきものである。
よって、原判決の瑕疵の要件ないしは判断基準に関する前記認定は、国賠法二条一項の解釈を誤ったもので失当である。
3 予測可能性について
(一) 原判決が、予測可能性を瑕疵の有無の判断基準としたことが誤りであり、これを被上告人の免責の抗弁と位置づけるべきことは、前記2に述べたとおりである。
よって、ここでは原判決が予測不可能を理由に瑕疵の存在を否定した、難透水性層の不連続及びパイピングの存在について、被上告人の免責の抗弁に対する反論という立場から以下のとおり主張する。
(二) 原判決は、堤防の管理者である被上告人の予測可能性の有無について次のとおり認定する。
① 堤体又は基礎地盤の上部構造に問題があることは、堤防の持つ宿命であり、その拡がりや、複雑性のためこれらの存在による洪水の影響のすべてを予測することは困難である(B―一一〇裏)。
② 押堀の存在自体から直ちに難透水性層の不連続、及びその結果としての浸潤線の上昇までを予測することは困難である(B―一一一表裏)。
③ 押堀がパイピングの起こりやすい箇所であることは事実であるが、丸池が周辺の地盤と比べて、よりパイピングの起きやすい条件を備えていたとはいえないから、丸池が押堀であることから直ちにパイピングを予測することはできない(B―一一三表)。
(三) 原判決の前記認定は、帰するところ、予測可能性があるといい得るためには、本件破堤の当時河川管理者において、単に押堀が破堤によって形成されたものであること、従って、過去にも破堤した危険箇所であることを知っているのみでは不十分であり、右押堀が難透水性層の不連続の箇所であり、その結果として浸潤線を上昇させ、破堤につながるという工学専門的知見を有していることが必要であるとし、右のような知見のない限り予測可能性はないとする。
同様に、河川管理者において丸池が押堀であり、従ってパイピングの起きやすい箇所であるということを知っていたというのみでは不十分であり、右知見に加えて、丸池部分が周辺の地盤に比し、よりパイピングの起きやすい箇所であることまでを知っていない限り、予測可能性がないとするものである。
(四) しかし、右の判断は明らかに誤りである。予測可能性を論ずる場合に必要なことは、防災の観点から見た危険予知の可能性の有無である。
換言すれぱ、それは破堤に至る工学専門的プロセスが解明されているか否かというようなことではなく、管理責任を負うものが、過去の体験、付近住民等の情報等により、堤防のどのような箇所にどのような現象があったとき、堤体に危険があるかを知り、また知り得たかということである。
ある現象の発生原因、就中、その工学専門的プロセスが不明であるということと、右現象から生ずる被害の発生を予知し、かつ回避することとは二律背反ではないのであり、未だ科学的に解明されていない現象について、その現象から生ずる被害の発生が防止されている例は少なくないのである。
これを本件についてみれば、管理責任を有するものが有すべき知見とは、せいぜい丸池が押堀であって、それが過去に破堤した危険箇所であるということであり、かつ押堀は一般的に、他の場所より基礎地盤に弱点があるので破堤につながる漏水浸潤等が発生し易く、洪水による破堤の危険度が高いという事実である。それ以上の知見は少なくとも防災の見地からは必要不可欠とはいえない筈であり、右程度の知見、又はその可能性のある限り、予測可能性及び回避可能性を否定することは許されないものというべきである。
現に飛騨川バス転落事故控訴審判決(名古屋高裁昭和四九年一一月二〇日判例時報七六一号一八頁)は、転落の原因となった土石流の発生を予知することができなかったことを認めたうえ、
「ところで、自然現象についても純粋に学問の分野で考えると、なお未知の分野が多いのであるが、現実の科学知識あるいは情報の程度に応じて有効な対策を立てることは可能であり、たとえば判明した科学的知識や情報の次元に応じて、それが低いときにはより低いところから警戒に入り、徐々に情報の次元が高くなれば、警戒の範囲を上げてゆくという方法も取り得るのである。そして、そのような対処の仕方は防災科学がその研究の対象とするところで、本件事故以前から研究が重ねられていて、前記の災害対策の基本的考え方とともにすでに以前から明らかにされていたものである。」
と判示し、国の管理に瑕疵のあったことを認めているのである。
破堤に至る厳密な科学的知見がない限り、予見可能性も回避可能性もないとするのは原裁判所の独断にすぎない。
4 本件における予見可能性と回避可能性
(一) 原判決の予見(予測)可能性についての判断は、右に述べたとおり、防災の観点からみた破堤の結果につながる危険予知の可能性の有無をはるかに越え、「浸潤線の上昇の予見」までも予見すべき内容に取り込み、結果的に破堤に至るプロセスそのものの予見を要求するに等しい。すなわち原判決の立場は、高度に具体的な危険性の認識をも要求するものであって、極めて不当である。
本件破堤は、原判決が「浸潤のみによって破堤に至った可能性も否定できないが、同時にこれと競合してパイピング孔が存在し、これが崩壊して堤体のせん断抵抗が弱化したため、浸潤線の上昇とあいまって破堤に至った可能性も否定できない」というようなものでなく、正にパイピング破堤というべきことは上告人らがすでに論証したところである。
しかし、破堤がその形態においてパイピング破堤であれ、浸潤破堤であれ、さらにその競合形態であれ、これをもたらす危険性が堤防の特定地点の地理的条件、歴史的条件等(由来)、さらにその周辺で観察された諸現象のいずれからでも認識しうるものであれば、防災の観点からする破堤の危険についての予見は可能であったといえるのである。そして、丸池が押堀であるという予見が得られれば、それのみによっても破堤の危険についての予見は可能であったといいうる。
(二) 本件破堤は地域住民が古くから切れ所と言い伝えてきた押堀である丸池部で発生した。長大な堤防のうちにあって特にこの地点で破堤をみたことはそれなりの理由があることであり、破堤後の破堤原因究明の諸調査の結果、初めて了解しえたというものではない。
原判決は、上告人らの主張を「押堀は他の箇所と比較して破堤の危険性が高いと一般的に云われているというが」と極めて簡略に要約したうえ、「その危険性はその後に不用意に築堤しないという性格のものにとどまり」と、押堀の危険性の問題を河川管理者がとりたてて問題とすべきものではないというニュアンスをこめて述べている。原判決がここで「…という性格のものにとどまり」という「性格」が意味するところは実に曖昧である。
原判決は「弁論の全趣旨によれば」としているが、「不用意に築堤」の文言は山村・久楽論文(一)にも用いられており、そこでは一般的な基礎地盤の漏水を発生させやすい地理的条件を指摘したうえ、このほか漏水の起こる箇所として、特に「旧河道の締切箇所」、「洪水によって一度破堤した箇所」をあげ、「堤防が一度破堤するとその箇所は流入水によって在来の地盤は洗い流され深くえぐり取られる。洪水流量が減少するにしたがって、深掘れした箇所にも土砂の堆積が行われるが、粗粒のれき分が主体を占めるので、その箇所に不用意に築堤工事を行うと局部的に堆積している砂れき層が原因になって予想外の激しい漏水に見舞われることがある」とのべられている。
同論文は、単に地盤漏水のメカニズムを考察したものではなく、地盤漏水がいかに危険なものであるかを建設省に所属する立場において強調しているのである。すなわち地盤漏水の危険性について、同論文は
① 漏水が激しくなると水の流出に伴って地盤内の土砂を噴き出し、地盤上に築造されている堤防の安全性をもおびやかす。
② 堤防地盤漏水問題は………土の安全性をそこね、またクイックサンド、パイピングなどを起こさせ、土構造物を破壊に至らしめる原因になることである。
③ 漏水は………ついには堤体の一部を破壊させることになる。
④ 大出水時には激しく水を噴き出し土砂を洗い流し、堤防法尻付近をいちじるしく傷つけるため、危険なものである。と指摘しているのである(原審の被控訴人ら第五準備書面九三〜九九頁)。これらの地盤漏水の危険性の指摘は、原判決がいうような「不用意に築堤しないようにするという性格」というような曖昧なものにとどまらず、その危険性は堤防の安全性をおびやかす危険、堤防の破壊をもたらす危険の指摘なのである。
(三) 原審において、上告人らは、堤防の地盤漏水に関しては古くから研究がなされており、特に昭和三五年に山村の論文「築堤地盤の漏水対策について」以来、昭和四七年頃迄には地盤漏水のメカニズムは体系的に明らかにされ、更にその対策のための工法も開発されていたことを詳細に主張し、立証した(原審の被控訴人ら第五準備書面八四頁以下)。そして、堤防の地盤漏水にかかわる主要な研究はいうまでもなく建設省の研究職員によって積み重ねられ、発表されてきたものであり、そのことは被上告人の認識をも意味するものなのである。
右山村の論文は、すでに昭和三五年の時点で、「河川堤防の基礎地盤の適否は堤体本体の安全性にも極めて大きな影響を与える」、「堤防地盤の漏水、パイピングあるいは地盤沈下が原因となって堤防破壊の災害を引き起こした例も少なくない」、「堤体主体の土質力学的安全性と同様に地盤に対する対策も十分に考慮されなければならない」と注意を喚起し、ある意味では警告を発して、ほぼ総合的な対策工法を提示しているのである。
(四) このように被上告人は、「洪水によって一度破堤した箇所」すなわち押堀は、堤防の安全性を確保し、また堤防の破壊の危険を招かないように地盤漏水対策をなすべき典型的な危険箇所であることを現に認識していたのである。
現判決は、「識者によればパイピングの起きやすい箇所として押堀があげられていることが認められているが、本件における丸池が周辺の地盤と比べて、よりパイピングの起きやすい条件を備えていたとはいえない」から、「本件においては、丸池が押堀であることとパイピングの予測の可能性を結びつけることは相当でない」と判断している。
「丸池が周辺の地盤と比べて、よりパイピングの起きやすい条件を備えていたとはいえない」という判断自体誤りであることはすでに明らかにしたところであるが、前記山村・久楽論文は押堀自体を漏水の起こる箇所、すなわちパイピングを起こさせる箇所として指摘し、その理由を示しているのであるから、周辺の地盤をいう以前の問題として、丸池とパイピングの可能性を予測しなければならないし、予測できたのである。丸池周辺にガマが散在する事実は、丸池とパイピングとのつながりを一層強く予測させる事情でもある。
(五) 被上告人が押堀である丸池の存在から地盤漏水を予測して、地盤漏水対策工法を施行していれば、堤体地盤の難透水性層の不連続の有無を問わず、本件破堤を回避することができたのである。そして、それは丸池部分の局所的対応によって実現できることであるから、いわゆる財政的制約も問題とならない。
たとえば、被上告人は本件破堤後の復旧工事にともない、堤防に沿って堤外側に鋼矢板を打設し、丸池を埋め立てて盛り土を施工した。これらの工法はいずれも地盤漏水対策の工法である。このような工法は地盤漏水対策の工法として古くから採用されてきたものであり、有効である。丸池の埋立てがガマの発生を防止し、また、パイピング破堤を防止するものであることは、山口補充書その二で明らかである(この方法は土木工事残土の捨て場として実行できるから、財政的にプラスになることはあってもマイナスになることはない)。また、特に鋼矢板の打設は川側からの透水層の水のながれを遮断する効果があるから、堤体や堤防法尻付近における浸透水の水頭と浸潤線の高さを低下させるにはもっとも確実な方法とされている(前記山村論文等。現判決がその有効性は明らかではないというのは、何の根拠もない)。また、仮に難透水性の不連続があるとした場合でも、浸潤線の上昇を招かないから、浸潤破堤も生せず、浸潤対策としても有効である。
(六) 以上に述べたとおり、本件破堤箇所が、かつての破堤により形成された押堀であり、基礎地盤に弱点があるので、破堤につながる漏水浸潤等を起し易い危険箇所であることは、被上告人において現に予見しまたは予見し得たところである。
また、右の危険を回避する措置も極めて容易であった。
しかるに原判決は右予見可能性を否定したものであって、国賠法二条一項にいう営造物の設置管理の瑕疵の解釈を誤まったものである。